昔、通学路の途中のお店にいたゴールデンレトリバーを思い出した
何を書いても構いませんので@生活板56
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1516154986
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505 :名無しさん@おーぷん :2018/01/26(金)23:28:39 ID:iTR
昔、通学路の途中のお店にいたゴールデンを思い出した。
小学生相手でもよく相手してくれていい子だったなあ。
吠えも噛みもしないのをいいことに自分の手袋をはめさせたり、
授業で作ったお面を被せていたりしていた
小学校で虐められていたけど、その子に会えると思ったら毎日元気で通うことができた。
お店の前を通る小学生達の人気者で、地域の小冊子に写真付きで紹介文が載った。
中学生になって少ししてそのゴールデンが亡くなったと聞いてひどくショックを受けた。
まだ10歳にもなっていなかったのに。
今日、久々にお店の前を通ったら
上級生が描いたイラストを元に作ったステッカーがまだ貼ってあった。
ありがとう。君は私の1番の友達でした。
かっこいいヒーローでした。
小学生相手でもよく相手してくれていい子だったなあ。
吠えも噛みもしないのをいいことに自分の手袋をはめさせたり、
授業で作ったお面を被せていたりしていた
小学校で虐められていたけど、その子に会えると思ったら毎日元気で通うことができた。
お店の前を通る小学生達の人気者で、地域の小冊子に写真付きで紹介文が載った。
中学生になって少ししてそのゴールデンが亡くなったと聞いてひどくショックを受けた。
まだ10歳にもなっていなかったのに。
今日、久々にお店の前を通ったら
上級生が描いたイラストを元に作ったステッカーがまだ貼ってあった。
ありがとう。君は私の1番の友達でした。
かっこいいヒーローでした。

祖父は間に合わなくて、SLが空き地を通り抜けた直後にカメラを抱えて走ってきた
何を書いても構いませんので@生活板 13
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1446074116
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49 :名無しさん@おーぷん :2015/10/29(木)23:23:38 ID:p2G
私がまだ小学生だった頃。
祖父母の家に遊びに行っていた時、ちょうど一日だけSLが復活して走ることになった。
近所の空き地から見ようということになり、
祖父は「カメラを探してから行く」と言って私と姉が先に行って待っていた。
だけど祖父は間に合わなくて、SLが空き地を通り抜けた直後にカメラを抱えて走ってきた。
私はSLを見たはずだけど、その時の祖父の残念そうな顔の方が印象に残ってて
正直SLのことはあんまり覚えてない。
祖父の足元はいつも履いてるつっかけだったことも覚えてるのに。
祖父のことが大好きだっただけに
そのことに対して私と姉だけが先に行ったせいで祖父はSLを見られなかった、
大好きなおじいちゃんに申し訳ないことをしてしまった、とずっと罪悪感を覚えていたんだけど、
よく考えたら祖父はSLなんて何度も見たことあるはずだし、
むしろ仕事の都合でたくさん乗ったこともあるはず。
(実際一緒にいたはずの祖母と父母は「何度も見たから別にいい」と見に来なかったし)
あの時祖父は自分がSLを見たかったわけじゃなく私と姉に見せたかったんだということ、
そしてカメラはSLそのものじゃなく私と姉がSLを見た、
という記念の写真を撮りたかったんだということに最近急に気が付いた。
祖父は十年くらい前に亡くなってしまって、楽しい思い出もたくさんあったのに
このことがずっと心に引っ掛かっていたから
私の勝手な想像ではあるけど少しだけすっきりした気がする。
祖父母の家に遊びに行っていた時、ちょうど一日だけSLが復活して走ることになった。
近所の空き地から見ようということになり、
祖父は「カメラを探してから行く」と言って私と姉が先に行って待っていた。
だけど祖父は間に合わなくて、SLが空き地を通り抜けた直後にカメラを抱えて走ってきた。
私はSLを見たはずだけど、その時の祖父の残念そうな顔の方が印象に残ってて
正直SLのことはあんまり覚えてない。
祖父の足元はいつも履いてるつっかけだったことも覚えてるのに。
祖父のことが大好きだっただけに
そのことに対して私と姉だけが先に行ったせいで祖父はSLを見られなかった、
大好きなおじいちゃんに申し訳ないことをしてしまった、とずっと罪悪感を覚えていたんだけど、
よく考えたら祖父はSLなんて何度も見たことあるはずだし、
むしろ仕事の都合でたくさん乗ったこともあるはず。
(実際一緒にいたはずの祖母と父母は「何度も見たから別にいい」と見に来なかったし)
あの時祖父は自分がSLを見たかったわけじゃなく私と姉に見せたかったんだということ、
そしてカメラはSLそのものじゃなく私と姉がSLを見た、
という記念の写真を撮りたかったんだということに最近急に気が付いた。
祖父は十年くらい前に亡くなってしまって、楽しい思い出もたくさんあったのに
このことがずっと心に引っ掛かっていたから
私の勝手な想像ではあるけど少しだけすっきりした気がする。
それを見て、もっと早くに開けるべきだったと心底思った
何を書いても構いませんので@生活板63
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1530380162
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1530380162
759 :名無しさん@おーぷん :2018/07/17(火)15:14:53 ID:d4r
どこに書こうか迷ったんだけど、ここで。
小学生の頃、道徳の授業で街のお年寄りに手紙を書いた。
返事はワードで縦書きに書かれた手紙だった。
他の子たちはその一回のやりとりで終わったみたいだったんだけど、私は続けて手紙を出した。
なぜと訊かれても分からないんだけど、なんとなくそうしたかったから。
お爺さんも律儀に返事をくれて、たまにエクセルで書いたドット絵とかを入れてくれてて、すごいなって思ってた。
そんなやりとりが続いて、運動会も見に来てくれた。
だけど中学生にもなると部活や勉強で忙しくて手紙のやりとりも間が空くようになっていった。
中三になったころ、お爺さんから手紙が来た。
この時は受験勉強やらで忙しくてまだ返事を出していなかった。
というより、お爺さんがくれた手紙(この手紙の前にくれたやつ)を開けてもいなかった。
手紙はお爺さんの奥さんからで、お爺さんが亡くなったことが書いてあった。もうずっと体調が悪かったらしい。
最後に頑張って書いていたから読んであげてほしいって書かれてた。
入っていたもう一通の手紙はお爺さんからだった。
いつものワードじゃなくて、初めて見る直筆の文字は達筆だった。
月に一度手紙をくれる若い文通友達ができてとても楽しかったって書いてあった。
それを見たらなんだか無性に悲しくなった。
私がお爺さんに手紙を出し続けたのはほんの気まぐれで、もし小学生のあの時に戻れても同じように手紙を書いたかは正直分からない。
中学生になって、友達付き合いやら部活やらで忙しくなってからは文通が億劫に思える時もあった。
そんな自分が恥ずかしいのと、薄情に思えてとにかく申し訳なかった。
月並みだけど、これが最後だって分かってたらもっと書きたいことがあった。もっと小まめに返事を出したかった。
うまく言えないけど穏やかで優しい時間だったのに、最後の手紙は苦くて切ないものになってしまった。
結局私は、最後の手紙の前にくれた手紙を開けることができないまましまい込んでた。
申し訳なさや後ろめたさみたいなものがあって、どうしても開けられなかった。
そのまま歳をとって、先週結婚した。実家を出ることになり掃除をしていたら、件の手紙が出て来た。
時間薬というのか、今度は手紙を開けることが出来た。
久しぶりに見るワードで書かれた手紙には勉強が大変だろうけど頑張るんだよとか、
暑いけど体調に気をつけてとか、優しい言葉がたくさんあった。
それからエクセルで書いた、合格祈願のイラストがついていた。
それを見て、もっと早くに開けるべきだったと心底思った。
高校受験、大学受験、就職、結婚…沢山の岐路が人生にはありますが、私はいつでも応援しています。って書かれた文字を見て、お爺さんのことを思い出した。
手紙は月一程度で、年に一度お会いするかどうかの関係だったけれど、お爺さんに出会えてよかった。
お爺さん、あの時ちゃんと高校合格したよ。
私、結婚するよ。
手紙をいつもありがとう。
もう言う相手がいないから書き捨て。
小学生の頃、道徳の授業で街のお年寄りに手紙を書いた。
返事はワードで縦書きに書かれた手紙だった。
他の子たちはその一回のやりとりで終わったみたいだったんだけど、私は続けて手紙を出した。
なぜと訊かれても分からないんだけど、なんとなくそうしたかったから。
お爺さんも律儀に返事をくれて、たまにエクセルで書いたドット絵とかを入れてくれてて、すごいなって思ってた。
そんなやりとりが続いて、運動会も見に来てくれた。
だけど中学生にもなると部活や勉強で忙しくて手紙のやりとりも間が空くようになっていった。
中三になったころ、お爺さんから手紙が来た。
この時は受験勉強やらで忙しくてまだ返事を出していなかった。
というより、お爺さんがくれた手紙(この手紙の前にくれたやつ)を開けてもいなかった。
手紙はお爺さんの奥さんからで、お爺さんが亡くなったことが書いてあった。もうずっと体調が悪かったらしい。
最後に頑張って書いていたから読んであげてほしいって書かれてた。
入っていたもう一通の手紙はお爺さんからだった。
いつものワードじゃなくて、初めて見る直筆の文字は達筆だった。
月に一度手紙をくれる若い文通友達ができてとても楽しかったって書いてあった。
それを見たらなんだか無性に悲しくなった。
私がお爺さんに手紙を出し続けたのはほんの気まぐれで、もし小学生のあの時に戻れても同じように手紙を書いたかは正直分からない。
中学生になって、友達付き合いやら部活やらで忙しくなってからは文通が億劫に思える時もあった。
そんな自分が恥ずかしいのと、薄情に思えてとにかく申し訳なかった。
月並みだけど、これが最後だって分かってたらもっと書きたいことがあった。もっと小まめに返事を出したかった。
うまく言えないけど穏やかで優しい時間だったのに、最後の手紙は苦くて切ないものになってしまった。
結局私は、最後の手紙の前にくれた手紙を開けることができないまましまい込んでた。
申し訳なさや後ろめたさみたいなものがあって、どうしても開けられなかった。
そのまま歳をとって、先週結婚した。実家を出ることになり掃除をしていたら、件の手紙が出て来た。
時間薬というのか、今度は手紙を開けることが出来た。
久しぶりに見るワードで書かれた手紙には勉強が大変だろうけど頑張るんだよとか、
暑いけど体調に気をつけてとか、優しい言葉がたくさんあった。
それからエクセルで書いた、合格祈願のイラストがついていた。
それを見て、もっと早くに開けるべきだったと心底思った。
高校受験、大学受験、就職、結婚…沢山の岐路が人生にはありますが、私はいつでも応援しています。って書かれた文字を見て、お爺さんのことを思い出した。
手紙は月一程度で、年に一度お会いするかどうかの関係だったけれど、お爺さんに出会えてよかった。
お爺さん、あの時ちゃんと高校合格したよ。
私、結婚するよ。
手紙をいつもありがとう。
もう言う相手がいないから書き捨て。
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